レッドカーペット&プレミア試写会
2015.05.08 23:58|GO|
昨日のレッドカーペット&プレミア試写会は参加した方たちが
たくさん呟いてくださり写真も上げてくださって
その場にいるような感覚でワクワクしました。
レッドカーペットというのは初めてのことで、
どんなものなのか見当もつきませんでしたが
リムジンで乗り付けてカーペットを歩くなんて夢みたいですね。
あれならチケットなくても見られたので行けば良かった。
木曜は休みなんですもの。
山本社長の満足そうな顔が印象的でした。
レッドカーペットに力を注いで舞台挨拶はワイドショーを見る限り
「ルパン三世」の時のような仕掛けもなく、あっさりした感じでした。
レッドカーペットでの剛さんは緊張しているように見えました。
これほど力を入れて宣伝してくれると重圧感が凄そうです。
かつて経験したことがなかったでしょうから。
覚悟はできているとは言っていますが。
news every 20150507.
めざましアクア20150508 4:53
Oha4 20150508 5:42
めざましテレビ20150508.
ZIP! 20150508.
スッキリ!20150508.
PON! 20150508
雑誌もどんどん出てきましたが
「パピルス」の構成・文を担当している高本亜紀さんは
「3年本」の企画・インタビューをしている方ですね。
発行元も同じ幻冬舎。
もっとも、あの企画を始めた時は発行できるかどうかもわからず
出版社も決まってなかったんですよね。
2009年といえば、とても3年後にブレークするなど想像もしなかったのに
高本さんの熱意に負けたという剛さん。
本当に良い本を出してくださいました。
3年の間、インタビューし続けることができたのは
編集者を魅了してやまない剛さんだからこそでしょう。
「キネマ旬報」の篠儀直子さんなどライターさんの支えがあるのは
素晴らしいことです。
エレカシが1988年にデビューした時、大きく売り出されたわけでもないのに
ロッキンオン社長・渋谷陽一さんの目に留まり、
渋谷さんが担当していたNHKの番組「ワールド・ロック・ナウ」に呼んでくれたり
音楽誌「JAPAN」にたびたび載せてくれたり
1990年には全く売れてないのに表紙にもしてくれました。
渋谷さんの影響でJAPAN編集長の山崎洋一郎さんはじめ
ロッキンオン社全員がエレカシを応援してくれていました。
1994年にレコード会社から解雇され、事務所も解散した時
新しい事務所やレコード会社を探してくれたのも渋谷社長でした。
そして1997年デビュー9年目にしてブレークできました。
雑誌社関係の支えは本当に有難いです。
たくさん呟いてくださり写真も上げてくださって
その場にいるような感覚でワクワクしました。
レッドカーペットというのは初めてのことで、
どんなものなのか見当もつきませんでしたが
リムジンで乗り付けてカーペットを歩くなんて夢みたいですね。
あれならチケットなくても見られたので行けば良かった。
木曜は休みなんですもの。
山本社長の満足そうな顔が印象的でした。
レッドカーペットに力を注いで舞台挨拶はワイドショーを見る限り
「ルパン三世」の時のような仕掛けもなく、あっさりした感じでした。
レッドカーペットでの剛さんは緊張しているように見えました。
これほど力を入れて宣伝してくれると重圧感が凄そうです。
かつて経験したことがなかったでしょうから。
覚悟はできているとは言っていますが。
news every 20150507.
めざましアクア20150508 4:53
Oha4 20150508 5:42
めざましテレビ20150508.
ZIP! 20150508.
スッキリ!20150508.
PON! 20150508
雑誌もどんどん出てきましたが
「パピルス」の構成・文を担当している高本亜紀さんは
「3年本」の企画・インタビューをしている方ですね。
発行元も同じ幻冬舎。
もっとも、あの企画を始めた時は発行できるかどうかもわからず
出版社も決まってなかったんですよね。
2009年といえば、とても3年後にブレークするなど想像もしなかったのに
高本さんの熱意に負けたという剛さん。
本当に良い本を出してくださいました。
3年の間、インタビューし続けることができたのは
編集者を魅了してやまない剛さんだからこそでしょう。
「キネマ旬報」の篠儀直子さんなどライターさんの支えがあるのは
素晴らしいことです。
エレカシが1988年にデビューした時、大きく売り出されたわけでもないのに
ロッキンオン社長・渋谷陽一さんの目に留まり、
渋谷さんが担当していたNHKの番組「ワールド・ロック・ナウ」に呼んでくれたり
音楽誌「JAPAN」にたびたび載せてくれたり
1990年には全く売れてないのに表紙にもしてくれました。
渋谷さんの影響でJAPAN編集長の山崎洋一郎さんはじめ
ロッキンオン社全員がエレカシを応援してくれていました。
1994年にレコード会社から解雇され、事務所も解散した時
新しい事務所やレコード会社を探してくれたのも渋谷社長でした。
そして1997年デビュー9年目にしてブレークできました。
雑誌社関係の支えは本当に有難いです。
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